東京オリンピック日本選手団の主将で陸上男子の山縣亮太選手。
100mでは日本新記録を出したり、3大会連続のオリンピック代表となるなど、最強のアスリートのイメージがありますよね。
しかし、実は山縣亮太選手は未熟児で生まれています。
出生体重は何グラムだったと思いますか?
そして、肺の病気になったり怪我で苦しんでいる山縣亮太選手。
未熟児だったことと何か関係があるのか調査しました。
この記事の内容
- 山縣亮太は未熟児!出生体重は何グラム?
- 山縣亮太は未熟児!肺の病気との関係は?
以上の内容で進めていきます!
山縣亮太は未熟児!出生体重は何グラム?
山縣亮太選手は、出生体重1,730グラムの未熟児として1992年6月10日に生まれました。
出産予定日よりも2ヶ月早く、生まれたときの呼吸も弱々しかったため、新生児集中治療室(NICU)に55日間入院していたそうです。
当時は、生きるか死ぬかというとても危険な状態だったといいます。
なので退院してからも、1年間の外出禁止令が出されていたとか。
そして外出禁止令が明けた1年後、出かけた三重県伊勢神宮では緊急入院となったようです。
未熟児とは、37週未満で生まれた新生児。 生まれた時期によって、未熟児の臓器は発達が不十分なため、子宮の外で機能する準備がまだできていないことがあります。
予定日より2ヶ月も早く生まれたということを考えると、妊娠8ヶ月頃(28週)ごろに生まれたことになります。
妊娠27週から37週で赤ちゃんが生まれることを早産と言いますので、山縣亮太選手は早産に当たります。
早産で生まれる赤ちゃんは、命の危険や合併症を起こすリスクもあるとされているのです。
そして、早産で生まれた赤ちゃんが標準的な発達をしている子供と同様に成長するには時間がかかります。
1歳の時点で追いつけるのは、32週未満なら21%と言われているので、山縣亮太選手も幼児期は成長に少し遅れがあった可能性はありますね。
山縣亮太は未熟児!肺の病気との関係は?
山縣亮太選手は、2019年から2020年に『肺気胸』という肺の病気で戦線離脱を余儀なくされました。
肺気胸とは、肺に穴が空いてしまい肺から空気が漏れて、タイヤがパンクしたように肺がしぼんでしまう病気です。
胸痛や咳、息切れなどが生じてしまいます。
10代〜30代で長身の痩せている若い男性がなりやすく、通称”イケメン病”と呼ばれることがあるそうです。
俳優の佐藤健さんや、嵐の相葉雅紀さんなども発症したことがあります。
確かに、山縣亮太選手もイケメンですよね。
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ひどい人は手術、軽い人は安静にすることで回復します。
山縣亮太選手は、2週間ほど肺に負担をかけないようにジョギングなどを控えて安静にしていたようです。
肺気胸の原因はまだはっきりと解明されていません。
仮説としては、成長期に急に身長が伸びることで、骨格の成長に肺の成長が追い付かないことが原因ではないかとされています。
骨格に合わせて肺も大きくならないといけないため、肺の表面が伸びて引っ張られてしまう可能性があるそうです。
山縣亮太選手が未熟児で生まれたことと、肺気胸に直接的な関係があるかは微妙なところですね。
山縣亮太は怪我が多い!
山縣亮太選手は、『ミスター逆境』と言われるくらい怪我に見舞われることが多い選手です。
スポーツをやっていると怪我は付き物ですが、その度に逆境を乗り越え強くなってきた山縣亮太選手。
山縣亮太選手は、「つらい時やしんどい時ほど実に優しい『いい息子』になる」とご両親は話しています。
2013年 | 日本選手権では肉離れから復活して優勝 |
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2014年 | 腰痛に悩まされ、記録が低迷 |
2017年 | 全日本実業団で、足首痛を克服して優勝 |
2019年 | 6月肺気胸となり、日本選手権と世界陸上を棄権 |
11月右足首靭帯断裂 | |
2020年 | 右膝蓋腱炎で日本選手権出場断念 |
10年近く怪我に悩まされてきたことがわかりますよね。
2020年について山縣亮太選手は
「一番つらい時期だったかもしれない。ひざは完治しないし、治っても同じ動きをしたらまたケガをする。『もう俺、続けられないかも』みたいなことを思った」
引用:「走る哲学者」の軌跡
このように述べています。
どんなに逆境を逆手にとって成長してきた山縣亮太選手でも、ネガティブに考えてしまうこともあったんですね。
山縣亮太選手の父・浩一さんは、早産で未熟児だった息子に対して
「亮太は生まれたときに生きるか死ぬかという試練を経験した。だから、これからどんな困難があってもどうにかなるだろう」
引用:「走る哲学者」の軌跡
第二子である山縣亮太選手を無事に授かった喜びの中で、このように思ったそうです。
その父の想い通り、怪我という困難を何度も乗り越え、日本新記録を更新してオリンピック出場と素晴らしいアスリートに成長していますね。
山縣亮太のプロフィール
山縣亮太選手のプロフィールです。
名前 | 山縣亮太(やまがた りょうた) |
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生年月日 | 1992年6月10日 |
出身地 | 広島県広島市西区鈴が峰 |
身長 | 177cm |
体重 | 74kg |
出身小学校 | 広島市立鈴が峰小学校 |
出身中学 | 修道中学校 |
出身高校 | 修道高等学校 |
出身大学 | 慶應義塾大学総合政策学部 |
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山縣亮太選手の名前にある『亮』という字は、『明るく力強い』という意味があり、ただ一心に、元気に育ってほしいというご両親の願いが込められているそうです。
未熟児で生まれた息子を心配に思うご両親の気持ちが伝わってきますね。
そんなご両親に関してはこちらの記事で紹介しています!
山縣亮太選手が卒業した『慶應義塾大学総合政策学部』の偏差値は、72.5です。
かなり優秀だったことがわかりますね。
陸上もやりつつ勉強もしっかりされていたのだと思います。
山縣亮太選手の小学校の『自主学習ノート』の画像がありました。

引用:スポニチ
自主学習ノートを見ると、山縣亮太選手が真面目な方だということがわかりますよね。
絵を用いたり、ペンで印をつけたりととても見やすくまとめられています。
陸上も勉強も小学生の頃からしっかりと両立されていたんですね。
山縣亮太の経歴
山縣亮太選手の主な経歴です。
- 小学校4年生:広島市スポーツ大会100m 優勝
- 小学校5年生:全国大会100m 8位入賞
- 中学校:100mと400mリレーで全日中に出場
- 高校1年生:大分国体少年B100mで優勝
- 高校2年生:世界ユース陸上競技選手権大会100m 4位入賞
- メドレーリレーで銅メダル
- 高校3年生:国体少年A100m 優勝
- 大学1年生:山口国体男子100m 日本記録樹立で3位入賞
- 大学2年生:ロンドンオリンピック短距離日本代表に選出
- 男子4×100mリレーで4位入賞
- 大学3年生:関東インカレ男子100m 優勝
- 大学4年生:日本インカレ男子100m 優勝
出生当時は未熟児だった山縣亮太選手ですが、そんなことは嘘のように成長を続け陸上で記録を残してきていますね。
生まれた当時はご両親もとても心配だったと思いますが、これだけ素晴らしい息子に成長してくれて本当に親孝行ですよね。
怪我に悩ませられながらも、3度もオリンピック代表になるというのはやはり元々の実力があってこそだからだと思います。
日に日に進化を遂げる山縣亮太選手、これからまだまだ楽しみな選手ですね。
まとめ
今回は『山縣亮太は未熟児!出生体重は何グラム?肺の病気との関係は?』ということでまとめてみました。
山縣亮太選手は未熟児で生まれ、出生体重は1,730gでした。
2019年から2020年にかけて、肺気胸という肺の病気にかかり戦線離脱しています。
肺気胸と山縣亮太選手が未熟児で生まれたことに関係があるかはわかりませんでした。
肺気胸は若い男性に多く発症する病気ということです。
多くの怪我にも悩まされている山縣亮太選手ですが、そこを乗り越えるたびに強くなっています。
進化し続ける山縣亮太選手、応援していきたいですね!