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藤子不二雄aの若い頃は新聞社勤務!実家は富山のお寺で参拝も!

藤子不二雄aさんが亡くなられたというニュースが入ってきました。

数々の有名作品を輩出してきた藤子不二雄aさんですが、若い頃はなんと新聞社に勤務していたそうです。

そんな藤子不二雄aさんの若い頃についてや、実家である富山県のお寺について調べてみました。

藤子不二雄aさんの実家のお寺は、参拝したり見学したりできるようです。

この記事でわかること

  • 藤子不二雄aの若い頃は新聞社勤務!
  • 藤子不二雄aの実家は富山のお寺で参拝も!

藤子不二雄aの若い頃は新聞社勤務!

藤子不二雄aさんの若い頃ですが、漫画家になる前は富山新聞社に入社し働いていました。

この富山新聞社は藤子不二雄aさんの伯父さんが専務を務めていたということで、もしかするとコネでの入社だったのかも知れないですね。

新聞社では学芸部と社会部で似顔絵やインタビュー記事を担当していたそうです。

2年ほど務めた1954年に、藤子F不二雄さんこと藤本弘さんに漫画家となることを誘われ退社しました。

  • 安定したアラリーマン生活
  • 好意を抱いていた後輩社員がいた

ということで、新聞社を退社することに未練があったそうです。

藤子不二雄aさんが退社する頃には伯父さんは富山新聞社の社長になっていたということで、激怒されたというエピソードもあるようです。

藤子不二雄aの実家は富山のお寺で参拝も!

藤子不二雄aさんの実家は、富山県氷見市にあるある光禅寺というお寺です。

光禅寺は650年以上の歴史を持つ加賀藩前田家ゆかりの曹洞宗の古刹で、藤子不二雄aさんの父親が曹洞宗49代目の住職でした。

住所:〒935-0017 富山県氷見市丸の内1-35
TEL:0766-72-1842
住職名:菊池 耕一

藤子不二雄aさんは1944年に父親を亡くして高岡市に転居するまで、このお寺に住んでいたそうです。

小学校5年生の時まで住んでいたそうなので、10年以上は住まわれていたようですね。

現在もお寺ということで一般にも開放されていて、参拝することができるようになっています。

山門をのぞくと、『忍者ハットリくん』、『怪物くん』、『プロゴルファー猿』、『喪黒福造』など石像が出迎えてくれます。

そして寺院内には手塚治虫さんから譲り受けた机の展示があったりと、今では観光スポットの一つにもなっているようです。

残念ながら、現在はコロナウイルスの感染拡大のため、寺院内の見学はお休みしているようです。

光禅寺までのアクセス

光禅寺までの行き方を紹介します。

氷見駅から

バス・・・市街地周遊バス「氷見駅前」乗車、「氷見中央」下車 徒歩2分

徒歩・・・約20分

となっています。

コロナが落ち着き、寺院内の見学が再開された頃にでも一度訪れてみてはいかがでしょうか。

まとめ

今回は『藤子不二雄aの若い頃は新聞社勤務!実家は富山のお寺で参拝も!』ということでまとめてみました。

藤子不二雄aさんの若い頃は、『富山新聞社』の社員として働いていたことがわかりました。

就職当時は藤子不二雄aさんの伯父さんが富山新聞社の専務だったそうです。

藤子不二雄aさんの実家は、富山県にある『光禅寺』というお寺です。

お父様が亡くなられる前はこのお寺に住まわれていたそうですが、その後は高岡市に引っ越しをしています。

光禅寺は一般にも開放されているので、普段は寺院内も見学できるそうです。

現在はコロナウイルス感染拡大ということで、寺院内の見学はお休みしているとのことなので、お出かけの際は問い合わせてみるといいようです。